私の会社は今年で創立55周年を迎えます。
会社が永続できているのは、今のいわゆる団塊世代を中心とした従業員たちのおかげだと思っていますが、数多くいたそうした方々も、年々少しずつ退職されています。
私が所属する部門にも50代や60代の方が依然多いのですが、
その中で昨年一人が定年退職を向かえられました。
その方は趣味も多く、登山や旅行、散策などによく出かけています。絵画も趣味にしているため、旅先などで写生をすることもあったようですが、カメラ片手に四季折々の姿を映し出すことも大好き立ったようです。
ただ、昔ながらのフィルム式カメラしか持っていなかったようで、簡単に写せるデジカメにも興味はあったようです。
そんな中、その方の送別会を行なうこととなり、会社近くの居酒屋で、総勢40名ほどが集まって退職を祝いました。
事前に幹事から、その方への退職祝いプレゼントを購入したいと、参加者に連絡があり、みんなで少しずつお金を出しあってデジカメを買ったのでした。
宴の途中、その方と普段よく仕事をしていた女性からそのデジカメが手渡されると、すごく嬉しがっていたのが印象的でした。
そしてそのプレゼントの受け渡しが終わったあと、私が代表してその方へ書いた手紙を読みました。
うっすら涙を浮かべて聞いてくれていたのですが、
「この手紙が一番の退職祝いだよ」
とあとで私に言ってくれ、むしろ私の方が泣けてきてしまいました。いつまでも心に残っている大切な思い出です。
定年退職のプレゼント
教員だった父が定年退職した時に、退職祝いとして姉弟と共にお金を出し合って両親へ旅行券をプレゼントしました。
姉と私は結婚して子供もいて、孫たちは話せる年齢になっていたので「じぃじ!おつかれさまでした!」と言うのを従兄弟同士で練習させて、プレゼントを渡す当日にさせました。
親バカで恐縮ですが、かなり可愛らしくて良かったです。
普段寡黙な父でしたがとても喜び、その日は外食をしたのですが楽しい夕食の時を過ごすことが出来ました。
父は教員として頑張ってこれたのは、母が支えてきたからだよね!と姉と弟と話しをして退職祝いは両親へ贈ることに決めました。
父は長い教員人生が終わり、新たな一歩を踏み出す節目なんだなぁと思うと、何だか本当に心から「お疲れ様でした」の一言が出てきました。それは、姉も弟も同じ気持ちだったので口々に「お疲れ様でした」と言っていました。
姉の配偶者や私の配偶者からも「お疲れ様でした」と言われ、父は少し照れているようにも見えました。とても嬉しそうだったのが印象に残っています。
あまり高額の旅行券は渡せませんでしたが、姉と弟と三人でプレゼントを渡したのは後にも先にも定年退職祝いの一度切りです。それだけ特別だと感じているからだと思います。
両親は旅行券を使って京都へ旅行へ行ったそうです。お土産をもらいました。教員を退職はしましたが、まだまだ働くことはやめていない父です。
本当の本当に働くことを辞める日がきたら、また何か姉と弟と共に贈りたいと思います。
1年前に父が定年退職しました。
父は証券会社に勤めていました。通勤に2時間ほどかかるのに郊外に一戸建てを購入し、
新卒で入社してから定年まで頑張って仕事をしてくれました。
証券会社なので、景気の浮き沈みが激しく、ボーナスが出ない年も何年かありました。自分が結婚して子供を産んでからやっと、父がどれだけ家族のために頑張ってくれたのかが
わかりました。
長年勤めた会社を退職するにあたって、退職祝いをしてあげたいと母と話しました。食事会とプレゼントにすることにしたのですが、退職祝いのプレゼントは何がいいか色々と悩みました。
これといって趣味やこだわりがないので、退職祝いのプレゼントは父の好きなお酒と洋服にしました。
食事会は近くのホテルのビュッフェを予約することにしました。予算は一人4000円ほどです。ローストビーフやお寿司、ケーキなどもあり子供から両親世代まで楽しめる内容でした。もし、退職祝いプランなどがあれば、そういったプランを選んだのになと思いました。
父は退職祝いをしてもらってとても嬉しそうでした。子供が産まれてから、子供のためのお祝いばかりで両親のお祝いは誕生日以外なかったので、改めて両親に感謝する機会ができて良かったです。
父のような団塊の世代は、家族との時間よりも仕事を優先してきた人たちです。
家族から定年退職祝いをされるのは、とても嬉しいことだと思います。
父なりに退職後の生活に少し不安などあると思いますが、退職祝いをすることでますます家族の絆を深めて仲良く協力して生活していけるような気がしました。
今年3月末に大変お世話になった先輩が満期退職することとなり、何を退職祝いにするかしばらく考えました。
先輩は人生はただ一度きりであり、それであれば好きなように生きたいというのが口癖でした。
退職までにできるだけ我慢してお金を貯めて、定年退職後は悠々自適の生活を送ると考える人がほとんどの中で、まさに異色の存在であり、輝いて見える人でした。
月に一度は沖縄に行き、年に4回は海外に行き、車は最高級車を乗り回し、身に着けるものもできるだけ高級なものを身に着けるという徹底ぶりで、ダンディズムを地で行っている人でした。
しかし、その破天荒な生活は、離婚という結末を迎え、親もすでに亡くなり、子供も作らなかった先輩は、天涯孤独な身となりました。
まだ仕事をしていれば、孤独という寂しさも紛らわすこともできますが、3月末で仕事もなくなる状況に、退職祝いするのも憚れました。
予想通り、私のほかに先輩に世話になった人たちも、贈る会や祝う会を企画しても、すべて辞退してしまいました。退職金が何千万円も入るのに、多少の記念品を渡しても喜ぶわけがありません。
先輩は、再任用という道は選ばないと再就職の予定もなく、会社に再任用の手続きもしていませんでした。
しかし、1月頃からなんとなく言動が変わってきて、どんな形であれ、後身を育てたいと漏らすようになりました。
このとき、私の脳裏に先輩に、イレギュラーだけれど、再任用雇用というプレゼントで退職を祝ってあげようと閃きました。
一度断って、締め切りも過ぎたにもかかわらず、再任用の手続きを行うことは容易な作業ではなく、頭の固い人事部を動かすことは容易ではありませんでした。
先輩が残ることが会社にとって利益になることを切々と説いて、2ヶ月かかって、先例のない再任用となりました。
3月中旬に話を持っていくと、
涙を流し喜んでくれました。先輩のこれまでの恩義に多少なりとも報いられる退職祝いとなり、私もうれしかったです。
私が勤めている会社の役員が定年退職することになり、その「退職祝い」を渡すことになりました。
その品物は何にしようかという話になり、何人かで相談をしたのですが、まずは本人の趣味に合っていること(もらってうれしく思ってもらえ、できれば日常的に使ってもらえるもの)、
費用は会費の形をとるので1人の負担が大きくならないような程度の金額のものであること、記念になるような名前や「定年退職祝い」といった文言が入るようなものであること、などが条件として出されました。
そして、いろいろと候補を検討しているうちに、最終的には、その役員がお酒がとても好きだったので、バカラグラスのロックグラスでどうか、ということになりました。
早速、そういう業者を調べてみると、ちょうどインターネットの通販で、条件に合ったバカラグラスに名入れのサービスをしてくれる会社があったので、そこに頼むことにしました。
費用も2万円程度だったので、1人当たりの金額もさほど高くなりません。そして、注文して2週間で会社のほうにその品物が届きました。
アクシデントとしては、その荷物が付いたのを当の本人が見つけ、「なんだこの荷物は!」ととがめたのが、ちょっと困ったくらいで、予定通り品物が無事についてよかったです。
ちゃんと依頼通りの品物で、かつ依頼通りの名入れになっているかどうかは、ギフト包装なので確認できませんでしたが、メールで名入れの画像を送ってくれていたので、それで確認することができました。
それを送別会の席で本人に手渡しましたが、非常に喜んでくれました。「退職祝い」としてはうまくいったのではないかと思っています。
今年母親が長年働いていた教師の職を、定年で退職しました。
私は兄弟が三人いるのですが、母親が正社員だったこともあり、お金に不自由なく、海外旅行などもさせてもらい、教育にもお金をかけてもらいました。母親が頑張ってくれたらからだと思っていますし、感謝の気持ちを退職祝いで伝えたいと思いました。
兄弟三人で計画をして、食事とプレゼントを用意しました。食事は近くのフレンチレストランを予約して、母親にごちそうすることにしました。私達兄弟の他に、母が同居している祖母、私の旦那、娘も一緒にお祝いをしました。
プレゼントについては、兄弟3人が1万円づつ出し合って、バッグをプレゼントをしました。母親はいつも服装などに無頓着にしているけれど、退職して時間ができたらバッグを持って、おしゃれをしてお出かけをしてほしいという気持ちを込めて選びました。
私達の他には、2歳の娘が絵を描き、母とのツーショット写真を貼りつけて、それをプレゼントしました。母は孫に夢中なので、とても喜んでいました。
母は働いていてストレスも溜まっていたのか、近寄りがたいこともありました。働くより、家にいてくれる母親を求めていた時期もありました。しかし、
ここまで働いてくれて、お疲れ様、ありがとうという気持ちでいっぽいです。
食事会ではみんなが集まると、母の仕事の話ではなく、普通の話で盛り上がりましたが、みんなが顔を合わせて集まったことで母も喜んでいました。
人生の一代イベントの一つと言えるかもしれない「定年退職」
もし自分の父親が定年退職を迎える日がきたとしたら、これまでどんなときも頑張って働き、自分を育ててきてくれたことの感謝も込めて退職祝いをしてあげたいものです。
プレゼントを贈るというのも一つのいいアイデアです。しかし自分が成人をして仕事をするようになり、また別に家庭をもつようになっていたり等々で家族と過ごす時間をもたなくなっていた場合、より効果的なお祝いの仕方があります。
それは、家族水入らずで食事をする、ということです。
「家族水入らず」というのは子供が成長するとなかなかできなくなるものです。結婚してパートナーがいたり、仕事で転勤をしていたり等様々な理由が考えられます。
父親は家族のために汗水たらして働いてきたわけですから、長い人生でのこの大切な一日をその家族が労わずしてどうするというのでしょう。
ですから「家族水入らず」ということがポイントなのです。
次になぜ食事か、というと美味しいものを食しているとき、人はかならず笑顔になるものだからです。大切な日ですから絶対に父親に喜んでもらいたいはずです。間違いのないのは「食事」なのです。
父親の好きな食べ物は知っていますか。好きなお酒はなんでしょう。行きたい、と言っていた場所やお店はありませんか。知らない場合はリサーチが必要です。
久しぶりの家族集合、そして美味しい食事、喜ばない父親はいません。そして退職祝いの主役は父親である自分なわけです。
「働いてきて良かった、家族がいてよかった」
と思ってもらえたら成功です。父親にとって記憶に残る一日にぜひしたいものですね。
昨年夏に父が66歳で定年退職をしました。
転職を2度しているので退職も2度ほどありましたが、体の衰えを感じ、このまま年金生活に入るとのこと。
私も姉も結婚して家を出ているので、何か退職祝いをしてあげたいと話し合って、実家からほど近い、ホテルのランチで行おうと決めました。
その日は両親、姉夫婦と1歳半の甥と、私たち夫婦と5歳の息子と2歳の娘でとてもにぎやかな退職祝いとなりました。
父はもともと出不精で、3世帯での旅行はしたこともないし、お出かけもほぼゼロ。ホテルでの会食というささやかな退職祝いでしたが、写真やビデオも撮ってとても思い出に残る、楽しいひと時でした。
父の退職祝いを機に改めて思ったのは、自分が結婚して子供が生まれると、先々の教育費や習い事などはもちろん家のロ-ンや日々の生活費など、とてもお金がかかることです。
しかし高校、大学生だったころの私は、一番教育費がかかる時期なんてことは、少しも気にせず、ちょっとしたことで父と喧嘩し毛嫌いしていました。
私の母は専業主婦だったので、父一人の経済力で暮らしていたのにもかかわらず、私は父への感謝をほとんどしていなかったのです。
退職祝いを機にそんな反省と感謝を遅ればせながらして、何かもう一つ記念になるものをと選んだのは、アルバム機能の付いた写真立てです。
その中に父と母が結婚してから、私たち姉妹が生まれ、成長していく過程の家族写真を収めて、先日父にプレゼントしました。
退職祝いでのホテルでの父の笑顔も、孫たちに囲まれてうれしそうでしたが、そのアルバムの写真を見たときの父は、まるで私が幼い頃の、懐かしい笑顔をしているようでした。
今では父の部屋の机の上にそれが大切に置かれています。
今年で、夫の父親が、長年勤めた会社を定年退職する事になりました。
義父は、高校卒業後、今の会社に勤務し、転職する事無く今の今まで勤め上げてきたまさに仕事人間です。本当に仕事が大好きな人で、義母はとても振り回されたようでした。
単身赴任も何年かあり、働き盛りの30~40代は午前様な日々も続いたとか。時に飲んで帰って来ては、ストレスから義母に手を挙げる事もあったようで、夫や夫の妹はそんな姿を見ながらも父の威厳や母の優しさも学んで来たようです。
そんな義父の退職祝いに、夫と夫の妹と3人で贈り物をしようと思っています。私が以前つとめていた会社では、定年退職した男性に、課のみんなからデジタルフォトフレームをプレゼントしました。
その方は旅行や写真が好きな方で、とても喜んで貰えました。義父も旅行が好きで更には写真やカメラが大好きな人です。家族旅行では買ったばかりのデジタル一眼レフカメラを常に手元に置いて写真をとりまくっています。
また、孫が生まれてからは、孫の虜になってしまい、カメラをひと時も離さずにバシャバシャとカメラマン気取りの義父です。
どんなデジタルフォトフレームがいいかなとまずはネットで下調べしてみたのですが、値段はピンキリですね。3000円くらいから買えるものや、数万円もする代物まで、色々でした。Wi-Fi対応の機能性抜群のものから、インテリアとしても違和感の無いデザイン性の良いものまでありますね。
退職の日まではまだありますので、ゆっくりと退職祝いのプレゼントを考えてみようと思います。
先日父が還暦を迎えました。
60歳定年ですので年度末には定年退職も控えています。
今までたいしたプレゼントもしたことがなかったので還暦&退職祝いは何が良いだろうかと去年から何が欲しいのかじわじわ探りを入れていたのですが、予想を大幅に外れて全く判りませんでした。
「還暦はああいう赤いの着るモノなの?着たい?」
「あんなん嫌だ」
「ふーん、割と楽しげにやってんじゃないのみんな」
「赤って、俺がどう着る…?」
だそうで。
内心では嫌なんかい!と思いながら、他のことを聞いてみたくても何度も聞くとばれそうなのでその日はそれで終了。
そんなことを一年繰り返しましたが結局何が欲しいのかは全く解らず。結果嫌だと言っていた赤色のプレゼントをしてみました。
本当は綺麗な真っ赤のベストを見つけていたのでそれにしようとしていたのですが、赤が嫌だと言ってる手前外から見えるものでは嫌だろうということで偶然にも近くの売り場で発見した赤いトランクスに急遽変更。
なにやら履き心地が良いらしい売り文句が書いてありました。お値段的にも1/10と財布にも優しすぎるプレゼント。「赤が嫌って言ってたから見えないように赤いパンツにしたよ。」なんて言いながら渡してみたところなにやら頬がほころんでおります。
思いの外喜んでいたらしく、翌日風呂上がりにちゃっかりとはいている父がいました。
「どない?」
「悪くない」
だそうで。
なんだ、嫌じゃないんだ。と思ったのと同時に、
父がこの程度で喜んでくれるなら毎年やってれば良かったなあ、
と思ったのです。何十年もこういう顔を見ることなく来てしまったのがなんだかとってももったいないことのように思えてなりませんでした。
気づくと白髪だらけになった父。ひげにも眉毛にも白色が目立つようになっていました。来年は奮発させて貰いますから元気でいてくださいね!